「せんせいリレー」vol.4
『調律師の幸せ』
〜職員室という名の劇場で、未来の旋律を奏でる〜

働き方
「せんせいリレー」vol.4『調律師の幸せ』〜職員室という名の劇場で、未来の旋律を奏でる〜

執筆/相模原市公立中学校 副校長 長澤 央行先生


Profile

長澤 央行先生

長澤 央行先生

相模原市公立中学校 副校長。

相模原市内の中学校にて国語科教諭として長年教壇に立ち、教務主任として学校運営の中核を担ったのち、現在は相模原市公立中学校の副校長として、教職員や生徒一人ひとりが力を発揮できる学校づくりを推進している。

また、ブラジル・サンパウロ日本人学校での3年間の勤務経験を持ち、多様な文化や価値観の中で教育実践を重ねる。

2025年には「ミライシード」主催セミナー『学校現場を元気にするコミュニケーション術』に登壇。教務主任時代の経験と実践をもとにした講演『幸せな板挟み』は、現場と管理職の間をつなぐ視点が多くの教育関係者の共感を呼んだ。

序章
新しい窓から見える、
見慣れたはずの景色

赴任して数か月が過ぎた二階にある職員室。その窓辺に立つと、夕暮れのグラウンドが一望できる。部活動に励む生徒たちの声が風に乗り、職員室まで届いてくる。歓声とも掛け声ともつかないその響きを聞いていると、一日の終わりの学校が、ゆっくりと呼吸しているように思える。年度まで、私は別の学校で教務主任を務めていた。


時間割を組み、年間計画を練り、誰の仕事か決まらない案件すべてを抱え込みながら、学校という組織の真ん中を走り続けていた。目の前の課題に全力で向き合う日々は、充実していた反面、周囲の景色を広く見渡す余裕はなかった。


毎日が授業や校務といった目の前にある業務と締め切りとの戦いだった。電話が鳴れば対応し、職員から相談を受ければ仕事の手を止める。次々と舞い込む案件に対応し手を動かし続けているうちに、気づけば一日が過ぎていた。


それでも不思議なことに、その忙しさの中にはやりがいがあった。学校全体が少しでもよい方向へ進むようにと願いながら働く時間は、私にとってかけがえのないものだった。

 

今年度から副校長になり視座が変わった。立場が変わったことで、当然ながら見慣れているはずの学校の光景が違って見える。机に向かう先生方。電話に応対する声。授業から戻ってきた先生の表情。休み時間の短い雑談。以前は業務の断片に見えていたものが、今はひとつの大きな作品の場面のように映る。校は、毎日誰かが物語を綴る場所なのだ。


子どもたちだけではない。教職員一人ひとりもまた、自分の物語を生きている。私は今、そのことを以前よりも深く感じている。


職員室を見渡していると、それぞれの先生方の背中に、それぞれの努力や悩みや願いが見えるような気がする。そして、その一つ一つが学校という舞台を支えているのだと思わずにはいられない

第一章 「板挟み」という名の贈り物

教務主任だった頃の自分を一言で表すなら、「幸せな板挟み」だった。


管理職の描く学校の未来。現実を抱えながらも前向きに成長し続ける先生方。その間に立ち、心を分かち合える幸せな立場だった。


たしかに、理想を伝えれば現場の苦悩を感じ、現場に寄り添えば理想との距離に悩む。その狭間で何度も立ち止まった。「これで本当によいのだろうか」と考え込むこともあった。会議で決まった方針を伝えるたびに、先生方の表情が気になった。逆に、現場の声を管理職へ届けるときには、その実現の難しさも理解していた。


どちらの立場にも共感できる立場だからこそ、簡単には答えを出せなかった。当時の私は、その板挟みを幸せと感じながらも、無意識にその葛藤を悩みと感じていたかもしれない。


だが今は違う。

振り返れば、あの考えた時間こそが自分を育てる時間だった。文学作品に、葛藤のない主人公は現れない。迷い、悩み、立ち止まり、それでも前へ進もうとするとき、初めて人は成長する。


教務主任としての日々は、学校という大きな物語を動かすための葛藤の時間だったのだと思う。マイナスをゼロに戻すだけではなく、ゼロをプラスに変える工夫を考え続けた日々。時間割の改善、会議の見直し、情報共有の工夫。どれも小さな取り組みだったが、その積み重ねが学校の空気を少しずつ変えていった。


ただ目の前のことに挑みながら走ったその経験が、今の私を支えている。人生には、後になって初めて意味が分かる時間(とき)がふと訪れる。あの日々は、まさにそういう時間だった。


そして今、管理職という立場になった私は、かつての自分と同じように悩みながら働いている教務主任の姿を見ると、心から応援したくなるのである。

第二章 職員室の群像劇

最近心にふと浮かんだ。


学校には主役がいない。あるいは、全員が主役なのかもしれない。と。肩を落としている若手教員の隣に、ベテラン教員が自然と腰を下ろす。


うつむいた背中にかけられた何気ない一言が、どれほど大きな支えになることだろう。実際、その後の若手教員の表情が少しずつ明るくなっていく姿を見たことがある。管理職としてできることもある。しかし、同じ教員だからこそ届けられる言葉もある。そんな場面に出会うたび、学校という組織の温かさを感じる。


会議では活発に意見を述べる先生がいる。子どもの小さな変化に誰よりも早く気付く先生がいる。朝早くから教室の準備をしている先生。行事の裏方として黙々と動く先生。日々の清掃や掲示物を整える先生。そして、黙々と学校を支えている職員。一つの仕事が、子どもたちの安心できる学校生活につながっている。それぞれの個性が重なり合いながら、学校という共同作品がつくられていく。

 

教務主任時代、私は会議の持ち方を見直し、時間割の中に会議を組み込む工夫を行った。当時はただの働き方改革の一環だと思っていた。今振り返ると、それは「余白」を必死に生み出そうとしていたように思える。


人は余白があるから考える。

余白があるから挑戦できる。

そして、余白があるから、人に優しくなれる。

職員室に余白が生まれれば、その空気は必ず教室へ届く。

教師が前向きになれば、子どもたちもまた前向きになる。

教育という営みには、そうした静かな連鎖がある。


私は最近、学校を支える力とは特別な能力ではなく、人を思いやる心なのではないかと感じている。職員室に流れる穏やかな空気。その空気こそが、子どもたちの学びや成長を支える土台になっているのである。

第三章 調律師の幸せ

副校長になった今、私の役割を一つの言葉で表すなら、「調律師」が近い。


校長が示す未来への旋律。

現場の先生方が奏でる多様な音色。

そのどちらか一方だけでは、美しい音楽にはならない。


理想だけでは現実を動かせず、現実だけでは未来へ進めない。

だからこそ、その間に立つ人が必要になる。


時に不協和音も生まれる。

意見がぶつかることもある。

しかし、それは決して悪いことではない。本気で学校をよくしたいと願う人たちがいるからこそ、生まれる響きである。

 

私の仕事は、その音を消すことではない。

互いの音に耳を澄ませ、より豊かなハーモニーへ導くことだ。


時に判断に迷うこともある。

誰かの期待に応えようとすれば、別の誰かの思いと向き合わなければならないこともある。最終的に自分で決断しなければならない場面が増える。その重さを感じる日も少なくない。それでも、先生方の挑戦が実を結び、子どもたちの笑顔につながった瞬間、その苦労は喜びへと変わる。


先生方が安心して挑戦できること。

失敗を恐れずに一歩踏み出せること。

「大丈夫、後ろで支えているから」

そう伝え続けること。


管理職としての喜びは、きっとそこにある。

調律師は自ら大きな音を奏でる存在ではない。けれど、一人ひとりの音色が最も美しく響くよう支えることができる。その役割に私は大きな誇りを感じている。

終章 未来を創るということ

学校は忙しい。


次から次へと課題が押し寄せる。

けれど、その忙しさの先には、子どもたちの未来がある。だから私たち教師は立ち止まらない。校務DX化も働き方改革も、目的は同じだ。それは、子どもと向き合う時間を生み出すこと。教師が教師らしくいられる時間を守ること。職員室が変われば学校が変わる。学校が変われば子どもが変わる。そして子どもたちの未来が変わる。

 

下校時刻を過ぎ夕暮れのグラウンドから聞こえていた声も、いつの間にか静かになった。窓に映る職員室には、今日も遅くまで仕事に向き合う先生方の姿がある。それぞれの机の上で、それぞれの物語が続いている。その姿を見ていると、学校という場所の尊さを改めて感じる。


教師の仕事は、すぐに成果が現れるものではない。今日交わした一言が、何年後かに子どもの背中を押すかもしれない。何気なく続けた励ましが、その子の人生を支える言葉になるかもしれない。

 

私たちは毎日、未来という名の種をまいている。

その種がいつ芽吹くのかは分からない。

もしかすると、卒業して何年も経った後かもしれない。

それでも信じている。

子どもたちの可能性を。

教育の力を。

そして、人が成長する力を。


学校には、目には見えない願いがあふれている。

子どもたちの願い。

保護者の願い。

地域の願い。

そして、教職員一人ひとりの願い。

それらが交わりながら、学校という物語は続いていく。

 

だからこそ、私は職員室を大切にしたい。先生方が安心して語り合える場所であってほしい。失敗を共有できる場所であってほしい。新しい挑戦が生まれる場所であってほしい。職員室は未来を創る人たちが集う創作の場であり、希望を育む舞台裏なのである。


教師の仕事は未来を創る仕事である。その舞台の一員でいられることを、私は幸せだと思う。

 

明日もまた、職員室の扉を開こう。

そこにはきっと、新しい物語が待っている。誰かの挑戦があり、誰かの成長があり、誰かの笑顔が生まれる。そんな一日が始まる。


一人ひとりの音色は違う。

だからこそ美しい。その音色が重なり合い、子どもたちの未来という大きな交響曲になっていく。私はこれからも、その響きに耳を澄ませたい。


時に支え、時に励まし、時に見守りながら。

調律師として。

子どもたちと先生方が奏でる未来の旋律を信じて。

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